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  • 11/21/23:23

04.20.20:56

もしも、戦後が無かったら その一

今度、旧海軍OB会の「水交会」が・・・
[提督たちの遺稿]を刊行しました。
全四十四巻、太平洋戦争の開戦秘話やら政治背景やらその経緯状況だ。

海軍は反対していたときいていたけれど、なぜ松岡外相は国連であの傲慢な態度を
とって退席したのか、山本五十六長官が「一年は持たせるが、それ以上は無理だ」と
首相に答えたというのは有名だけれども、陸軍の暴走と教わってきた私には
現場が見えて来なかった。
なぜなら、島国の日本にとっては全てが外戦になる訳だから当然海軍中心の戦略と
考えるのが、普通だろう。それは今も当時も変わらないと思うことと
日米交渉は真珠湾攻撃の時点でもその最中にあったと考えていたからである。

近衛文麿首相においては大抵の評価は優柔不断、決断不義、人任せ無責任のものであるが、
それは当時の政府内においても理解されていたことでもあるし、交渉不足や判断ミスであろうと
戦後も多く語られてきた。

しかし、水交会の皆さんの諸文から垣間見られるのは海軍大臣の開戦判断は首相に一任。
ここに不可思議と言うかなぜ反対している現場が中止を進言、或いは閣議事項にしなかったのか
そこに大きな禍根が残ると言っている。

「沈黙の提督と言われた井上成美元大将は軍司令部の権限強化や日独伊三国同盟に反対した
経緯を詳述、英米とはいくさはしないと言う鉄則を堅持すべきだったと振り返った」
中日新聞社抜粋

そんなばかげた戦争をやり続けた「戦後」
復活した、繁栄に成功した、復興を成し遂げたなどと
いい続け、間違った自由社会を育ててしまった現在に戸惑いは無いのか
将来への社会不安が爆発的に大きくなってしまった21世紀はこの戦争にあった事は
間違いない。

そんな思いで考えてみたいのはもしも、戦後が無かったら今はどんな社会であり
どんなお国になっていたのかである。
たまに明治維新的にとらえ発言する人たちもいるが、それは違う。
明治政府から平成政府まで官僚支配はなんら変わっていないし、
現実明治発布の法律まで利用しているではないか。

もしも戦後が無かったら・・・・・




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